高の原のイオンへは時々行くのですが、夏のこの時期、祇園祭のお囃子が聞こえます。定番のコンコンチキチン、コンチキチン・・・
何故か気持ちがすっきりします。
家内曰く、「悪いものを払っているのよ。もともと疫病を沈めるために始めたお祭りでしょ。きっとそうよ。」
うん、うん。確かにそうかもしれません。それにしても清涼感がある、そしてご利益のあるお囃子みたいです。
今日は京都祇園祭本山です。いよいよ夏本番です。
高の原のイオンへは時々行くのですが、夏のこの時期、祇園祭のお囃子が聞こえます。定番のコンコンチキチン、コンチキチン・・・
何故か気持ちがすっきりします。
家内曰く、「悪いものを払っているのよ。もともと疫病を沈めるために始めたお祭りでしょ。きっとそうよ。」
うん、うん。確かにそうかもしれません。それにしても清涼感がある、そしてご利益のあるお囃子みたいです。
今日は京都祇園祭本山です。いよいよ夏本番です。
高の原イオンで買い物をしての帰り、携帯電話がなりました。大学時代のクラブの後輩S君です。S君は口を尖らせては文句を言うのですが、何故か可愛がれる人物でした。人徳というやつでしょう。
卒業後数年経って私は開業し、S君は会社務め。ところが12月の半ば、S君は長期の休暇が取れたのか、突然開業したての私の病院にやってきました。そして当時はお互い独り者でしたので、大掃除や買い物、食事を作ったり、果ては仕事を手伝ってくれるほど活躍してくれたのです。その後会社に戻りお互いの時間が過ぎてゆきました。
そして数十年ぶりに大学で再開したのです。彼はとても偉くなっていて、関東の医療機器会社の支店長さんでした。でもやはり私にはS君です。懐かしい懐かしいS君でした。そして大学構内を歩きました。その節は大変お世話になりました。今の私と病院があるのもS君のお陰です。ありがとうね。(これ、何回言わされたことやら・・・)
もう1人別のS君が先月電話をしてきました。彼は大学の同級生でかなり親しい友人でした。
彼は私とは異なりかなり行動派で、科学系の編集者として勤めた後、ニューギニアやアフリカに出向いて野生動物を追いかけ、その後東京で動物病院を開業。その間著書もたくさん。そして「おれさあ、今度参議院選に出ることになっちゃったよ。遺伝病の協会を立ち上げただろ。そしたら○○さんを頭にして物事を進めていたら、お前が選挙に出てお前が動かせ!って言われてさあ。」と言うのです。まあ関東ローカルのTVやラジオに出て、少しは名前が出ているので「ホンマかいなあ。関西のやつらに広めておくわ。」と答えました。比例区からの出馬でしたから関西でも役に立てるのです。やはり友人が選挙に出るってなんだかモードが変わるものです。
しかし結果は健闘むなしく敢無く落選でした。残念無念。S君。今度そっち行ったら飲もう。(私は直ぐに寝てしまうけど・・・)
こんなことには決してめげない、そしてガハハと笑い飛ばすS君なのでした。
今朝から獣医師 北川先生は1時間に5回もトイレへ通っています。どうやらお腹の調子が悪いみたい。
昨日夜の診察時間の隙に、私は賞味期限の過ぎた牛乳プリンを口にしました。特に異臭もおかしな味もしませんでした。でも横で見ていた北川君が「院長。止めておいたほうがいいですよ~。ダメですって~。」と静止ました。「そうやなあ。」渋々言うことを聞くことにしました。
そして今朝。お腹の調子が悪いのは北川君でした。
これって「想像下痢」とでも言うのでしょうか。想像で病気になったら怖いですねえ。想像骨折や想像腫瘍。
想像嘔吐、想像頭痛、想像アレルギー性鼻炎・・・なんていうのはありそうです。でも人は思い込みである程度病気になってしまいます。
思い込まないようにリラックスして、情報は正確に処理しましょう。そして北川君は早くお腹を治して下さい。お大事に・・・。
僕はただ普通に運転していました。そして一旦停止の標識をみつけ、ゆっくりと模範的に線手前1.5mほどのところで停止しました。
停止線の道路脇左には1人の制服を着た男性が立っていたのは判っていました。しかし見た目にはとても違和感がありました。なぜなら警察官なら帽子かヘルメットをかぶっているはずなのですが、そこには普通の髪の毛しか見えません。
完璧とまで言える停止の後、車を発車させました。そして停止線を越えた瞬間・・・・・、その制服を着た男性は笛を吹き、僕に違反であることを伝えに来たのです。いや厳密にはその言葉を聴くまでに、自分としては概ね状況を理解してしまいました。
というのも、停止線手前1.5mでの停止。その後もう一度線上で止まればよかったのでしょうが、制服を着た男性の目線が気になり、早くその場を立ち去りたかったし、少し自分の意見を通したかったのも事実です。でもどうやらその意見が通らなかったのか・・と感じたのです。
そしてその男性の明確な回答もないまま、僕の夢は終わりました。
その後自分なりに調べますと、「停止線手前の停止」がうたわれていました。ということはお咎めなし、でした。
いやはや、ややこしい夢ですなあ。
誰ですか?深層心理とか言うのを探っている人は。ストレスの表れでしょうってことで。
サッカーワールドカップ。日本時間早朝に日本はデンマークと戦っていたようです。愚息は昨夜珍しく早く入浴し、さっさと寝てしまっていました。そして早朝ノソノソと起きだしたようで、気が付けば階下で口笛を吹いて喜びを表わしています。ということは点数が入ったのか?と想像はしておりましたが、わざわざ起きてTVを見に行く元気もなくそのまま寝てしまいました。
朝起きてニュースを見ればご存知の通り。
選手の戦う姿を幾度か流される映像から見ていますと、確かに数年前の戦っている選手たちよりボールを持っている時間も長いですし、自分たちがコントロールしている様がこんなオッサンでもありありとわかりました。これを「自分たちのプレー」と呼ぶのでしょう。足が地に着いた動きが頼もしかったです。
スター選手を出して個人プレーで賄うのか、チームプレーで戦うのか。監督の悩むところの一つだと思います。また攻める選手の数や守る選手の数を決めるのも大変なことでしょう。勝てば官軍、負ければ賊軍。よく言われたものです。素晴らしい戦いを見せてくれます。さしずめ私たちの病院はチームプレーが主な戦術。スター選手はおりません。監督(院長)がややうるさいだけ。もっとも監督兼務の選手ですが。
あの試合。朝の3時くらいからにも関わらずTVの視聴率は30%ほどだったそうですね。みんなタフですねえ。院内ではどうだったか聞き取り調査をしましたら、看護師の伊吹さんがかろうじて携帯電話についているTVで瞬時だけ観戦したそうです。それ以外は皆さんオネンネ。やはり開催地が遠いと、やや空気が薄くなってしまうのか、力の入り方が前回とは異なります。
さあ、行ける所まで行って頂戴!あんたらは素晴らしい力を発揮してます。私たちも応援ばかりしてないで、自分たちのできることを彼らのように精一杯やらなければなりません。転んでも蹴られても例えオフサイドと評価されても挫けずに、次の得点を目指してゆこうと感じ取りました。
ところで外国人から見て、現日本チームのエースストライカー本田は、車のHONDAと重なって映っているのではないでしょうか。「やっぱりHONDAが凄い!!」って。なんだかややこしいことになってるような気がします。きっと。
皇居の周辺を歩いて感じましたのは、とても植物が多いことです。どこからか種がやってきて自生しているものもありそうです。
10年ぶりに大学に寄りました。駅は新しくなっていて、昔単線だったJRも複線になり、電車も床に油を敷いた木製で支柱が立っていた車両ではありません。この柱に抱きついてセミのまねをするのが寮に入った新人の役割だったのですが、今では柱はなくなり、聞けば寮もなくなったようです。もううるさいセミの声はなくなったことでしょう。
古びた小さなパチンコ屋さん、きれいなママさんのいた喫茶店、カウンターだけの食堂、友人や後輩がいたアパートなどなどがなくなり、新しいマンションや不評だった総合病院が心機一転とても大きくなっておりました。
大学構内も新しい研究棟や体育館を建築しており、昔あった風景はほとんどありませんでした。
応援団や武道系クラブが肩で風を切って歩いていた時代ではなくなり、確実に女性が多い大学となっておりました。
もうオッサンたちはただ「へ~。えらい変わりようやなあ~。」と関心しきりでございました。
昔はジャージ姿の男子学生や女子学生が居ましたし、白衣、つなぎに長靴で歩いている学生ばかりでした(実習が多かったので。。。そしてこの姿が誇らしかったものです)。もちろんおしゃれ気など微塵もありません。ですから新宿や渋谷、横浜などファッション雑誌から出てきたような学生が集まるところは大の苦手。そんな校風でしたので、今で言う町全体が引きこもりの状態だったのかもしれません。それだけに愛校精神は豊かですし、年を重ねても交流は多いほうだと思います。
とにもかくにも学校の風景は大きく変わり、世相を反映して、牛舎や豚舎の入り口には石灰がまかれてありました。(口蹄疫予防のため)
さて、もうそろそろ2日間歩き回った足が疲れてきました。ボチボチ奈良に帰ることにします。
芝増上寺。建物は新しそうですが立派なお寺です。あちらこちらに葵の紋が示され、徳川由来のお寺というのがわかります。本堂裏には徳川の廟がありました。通常一般参拝はできないようです。一度予約してお参りしたいです。隙間が開いていたので覗かせてもらったのですが、とても荘厳な時間が流れているかのようです。
お寺の直ぐ裏にはもう東京タワーが立ち誇っています。増上寺の写真を撮ろうとしたら、東京タワーがどうしても入ってしまうほど。大きな大きなタワーです。通天閣も大きいと思いますが、もう少し大きく感じました。実は私、東京タワーと同い年なんです。なんだか愛おしいですし、頼もしいです。今度来るときは夜のタワーを堪能してみたい気持ちになりました。
帰り道周辺のお寺の土塀をみて驚いたのですが、韓国の土塀とまるっきり同じ作りでした。土と藁をこねて高さ5cmほどの畝を作り、その上に瓦を載せてまた土、瓦、土、瓦の連続で土塀を築いてありります。私は獣医師ですから建築のことや歴史のことは全く知りませんが、見て感じたこととしては確実に大陸とのつながりがわかりました。
お祝いは楽しく進み、先生も確かにお歳を召されましたがやはり元気印いっぱいで安心しました。型どおり花束の贈呈、記念写真撮影と進みましてお開きとなりました。実は開会に向けて「せんと君缶バッチ」をしこたま持って行きました(1個150円のバッチをみつけました)。奈良の観光活性に向けて一肌脱いだつもりです。しかし会場での反応は今ひとつ。残念っ。まだまだ努力が足りなかったのか、役不足か。
とりあえず赤坂見附に宿を取っていたのでチェックインすることにしました。赤坂って聞けば夜遅くまで飲んでいる人が多いような情報を持っていたのですが、案外人気が少ない街です。きっと私の歩いていた場所がそうだったのでしょう。
翌朝地下鉄に乗って麻布十番まで出ました。実は私の出身大学に麻布という名前がついているのですが、現所在地は神奈川県相模原市なんです。元を辿れば東京市麻布村にあったそうです。そこでせっかく近くに宿をとっているので、どんなところか興味湧いてきましたので足を伸ばすことにしました。地下鉄を降り概ね下調べした方向に歩いていると、ほどなく町内地図がかかってあったのでじっくり見ていると、比較的直ぐに見つかりました。早速その地図どおり歩くと今はお寺になっており、その敷地内に大学がありましたという石碑が小さく建っていました。ここでの感想はやめることにします。同窓生と語るには良いでしょうが、そうでない方々にはおそらくご迷惑だと思いますので。しかしあえて言うなら、かなり以前より是非とも行きたかった場所でもありましたので、ジクソーパズルの1ピースが見つかった気分でもありました。
この周辺はお寺やいろいろな国の大使館が点在しており、その周辺を閑静な住宅で埋め尽くされています。またこの麻布十番近辺。昔はどうやら機械工場の街だった様で、今でも古びた機械屋さんや世代交代の後新しくなった会社が立ち並んでいるのです。もっときらびやかな街を想像していただけにそのギャップが新鮮でした。やはり自分の足で歩かないと判らないことが多いです。
こうして考えると、インターネットで見ただけの知識やさまざまなメディアで捕らえたつもりの知識は断片であって、これをつなげるには実地検分がとても大切だと感じます。今回の探訪もこの地のほんの一面しか見ておりません。でも実際に見たルートのことは忘れないでしょう。
大都会東京。本当に人が多く、遷都1300年祭の奈良平城京ですらみることがありません。
皇居一周。美味しい立ち食いそばを頂き、ゆっくりと木陰で休んだ後、先生の喜寿祝に会場へ向かいました。東京駅から3分ほどの立派なビルの4階です。途中横断歩道で先輩や後輩たちに会いました。久しぶりに会う面々です。そして目的のビルに入りエスカレーターに乗って目的階を目指します。他の集まりもあるのでしょう、いろいろな方が居られます。
すると途中階を歩いているとき関西弁で「先生!」・・・・「山尾先生!!」
ここは東京です。多くの人が集まっている会場ですから先生と日ごろ呼ばれている面々もたくさんいるでしょう。でも山尾という姓はそういないはず(実は山尾信吾という同姓同名で同じ学年の方が少なくとも1人は居られます。近畿圏内に)。どんな人だろう、その山尾って人は。と興味本位と本能が混じり、声のする後ろを振り返りました。
その声の主は思いっきりの笑顔で、しかも私の方に向かって手を振っておられます。(よくありますよね。自分の方に向かって手を振っている。でも実は自分の後ろの人に向けてのメッセージ。そんなこと知らないから反応したはいいけれど、事実を知ってしまった時の罰の悪さ)私は老眼と乱視ではっきりとそのお方が見えません。思わず叫びました。「誰??」すると声の主は「私!」って返事が返ってきました(このような時は少なくとも姓を名乗りましょう!私・・・ではわかりません)。女性です。数歩その方に向かって近づき全てがわかりました。
病院のお近くにお住まいで、以前イヌを飼っておられた方でした。(中学時代の友人のとっても愉快なお姉さまでもありました。)
しばらくお話をしましたところ、その方も大学の同窓会だとか。奈良でお会いすることはあまりないのに、こんな離れたところで。本当に偶然とは恐ろしいものです。
そう言えば以前早朝の信州のスキー場。動かなくなった車のラジエターにお湯をかけている御仁を見かけました。よ~く見ると高校の同窓生でした。
こんな話をその後の喜寿祝会場で後輩に話してみましたところ、あるのですねえ。このような話が。聞けばクラブの後輩2人がニューヨークのデパートの片や下りのエスカレーター、片や昇りのエスカレーターですれ違いざまにお互いが「あああああ~」って指を挿し合ったそうです。参りました。
実際、東京はおもしろい街です。大都会マジック!!
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