♪ 院長のココロなのだ!

一旦停止

火曜日, 6月 29th, 2010

僕はただ普通に運転していました。そして一旦停止の標識をみつけ、ゆっくりと模範的に線手前1.5mほどのところで停止しました。

停止線の道路脇左には1人の制服を着た男性が立っていたのは判っていました。しかし見た目にはとても違和感がありました。なぜなら警察官なら帽子かヘルメットをかぶっているはずなのですが、そこには普通の髪の毛しか見えません。

完璧とまで言える停止の後、車を発車させました。そして停止線を越えた瞬間・・・・・、その制服を着た男性は笛を吹き、僕に違反であることを伝えに来たのです。いや厳密にはその言葉を聴くまでに、自分としては概ね状況を理解してしまいました。

というのも、停止線手前1.5mでの停止。その後もう一度線上で止まればよかったのでしょうが、制服を着た男性の目線が気になり、早くその場を立ち去りたかったし、少し自分の意見を通したかったのも事実です。でもどうやらその意見が通らなかったのか・・と感じたのです。

 そしてその男性の明確な回答もないまま、僕の夢は終わりました。

 その後自分なりに調べますと、「停止線手前の停止」がうたわれていました。ということはお咎めなし、でした。

いやはや、ややこしい夢ですなあ。

誰ですか?深層心理とか言うのを探っている人は。ストレスの表れでしょうってことで。

デンマーク戦とHONDA

日曜日, 6月 27th, 2010

サッカーワールドカップ。日本時間早朝に日本はデンマークと戦っていたようです。愚息は昨夜珍しく早く入浴し、さっさと寝てしまっていました。そして早朝ノソノソと起きだしたようで、気が付けば階下で口笛を吹いて喜びを表わしています。ということは点数が入ったのか?と想像はしておりましたが、わざわざ起きてTVを見に行く元気もなくそのまま寝てしまいました。

朝起きてニュースを見ればご存知の通り。

選手の戦う姿を幾度か流される映像から見ていますと、確かに数年前の戦っている選手たちよりボールを持っている時間も長いですし、自分たちがコントロールしている様がこんなオッサンでもありありとわかりました。これを「自分たちのプレー」と呼ぶのでしょう。足が地に着いた動きが頼もしかったです。

スター選手を出して個人プレーで賄うのか、チームプレーで戦うのか。監督の悩むところの一つだと思います。また攻める選手の数や守る選手の数を決めるのも大変なことでしょう。勝てば官軍、負ければ賊軍。よく言われたものです。素晴らしい戦いを見せてくれます。さしずめ私たちの病院はチームプレーが主な戦術。スター選手はおりません。監督(院長)がややうるさいだけ。もっとも監督兼務の選手ですが。

あの試合。朝の3時くらいからにも関わらずTVの視聴率は30%ほどだったそうですね。みんなタフですねえ。院内ではどうだったか聞き取り調査をしましたら、看護師の伊吹さんがかろうじて携帯電話についているTVで瞬時だけ観戦したそうです。それ以外は皆さんオネンネ。やはり開催地が遠いと、やや空気が薄くなってしまうのか、力の入り方が前回とは異なります。

さあ、行ける所まで行って頂戴!あんたらは素晴らしい力を発揮してます。私たちも応援ばかりしてないで、自分たちのできることを彼らのように精一杯やらなければなりません。転んでも蹴られても例えオフサイドと評価されても挫けずに、次の得点を目指してゆこうと感じ取りました。

ところで外国人から見て、現日本チームのエースストライカー本田は、車のHONDAと重なって映っているのではないでしょうか。「やっぱりHONDAが凄い!!」って。なんだかややこしいことになってるような気がします。きっと。

その6:おまけ

土曜日, 6月 26th, 2010

皇居の周辺を歩いて感じましたのは、とても植物が多いことです。どこからか種がやってきて自生しているものもありそうです。

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その5:わが母校

土曜日, 6月 26th, 2010

10年ぶりに大学に寄りました。駅は新しくなっていて、昔単線だったJRも複線になり、電車も床に油を敷いた木製で支柱が立っていた車両ではありません。この柱に抱きついてセミのまねをするのが寮に入った新人の役割だったのですが、今では柱はなくなり、聞けば寮もなくなったようです。もううるさいセミの声はなくなったことでしょう。

古びた小さなパチンコ屋さん、きれいなママさんのいた喫茶店、カウンターだけの食堂、友人や後輩がいたアパートなどなどがなくなり、新しいマンションや不評だった総合病院が心機一転とても大きくなっておりました。

大学構内も新しい研究棟や体育館を建築しており、昔あった風景はほとんどありませんでした。

応援団や武道系クラブが肩で風を切って歩いていた時代ではなくなり、確実に女性が多い大学となっておりました。

もうオッサンたちはただ「へ~。えらい変わりようやなあ~。」と関心しきりでございました。

dsc_1547昔はジャージ姿の男子学生や女子学生が居ましたし、白衣、つなぎに長靴で歩いている学生ばかりでした(実習が多かったので。。。そしてこの姿が誇らしかったものです)。もちろんおしゃれ気など微塵もありません。ですから新宿や渋谷、横浜などファッション雑誌から出てきたような学生が集まるところは大の苦手。そんな校風でしたので、今で言う町全体が引きこもりの状態だったのかもしれません。それだけに愛校精神は豊かですし、年を重ねても交流は多いほうだと思います。

とにもかくにも学校の風景は大きく変わり、世相を反映して、牛舎や豚舎の入り口には石灰がまかれてありました。(口蹄疫予防のため)

さて、もうそろそろ2日間歩き回った足が疲れてきました。ボチボチ奈良に帰ることにします。

その4:東京タワー

金曜日, 6月 25th, 2010

芝増上寺。建物は新しそうですが立派なお寺です。あちらこちらに葵の紋が示され、徳川由来のお寺というのがわかります。本堂裏には徳川の廟がありました。通常一般参拝はできないようです。一度予約してお参りしたいです。隙間が開いていたので覗かせてもらったのですが、とても荘厳な時間が流れているかのようです。

お寺の直ぐ裏にはもう東京タワーが立ち誇っています。増上寺の写真を撮ろうとしたら、東京タワーがどうしても入ってしまうほど。大きな大きなタワーです。通天閣も大きいと思いますが、もう少し大きく感じました。実は私、東京タワーと同い年なんです。なんだか愛おしいですし、頼もしいです。今度来るときは夜のタワーを堪能してみたい気持ちになりました。

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帰り道周辺のお寺の土塀をみて驚いたのですが、韓国の土塀とまるっきり同じ作りでした。土と藁をこねて高さ5cmほどの畝を作り、その上に瓦を載せてまた土、瓦、土、瓦の連続で土塀を築いてありります。私は獣医師ですから建築のことや歴史のことは全く知りませんが、見て感じたこととしては確実に大陸とのつながりがわかりました。

その3:麻布十番

土曜日, 6月 19th, 2010

お祝いは楽しく進み、先生も確かにお歳を召されましたがやはり元気印いっぱいで安心しました。型どおり花束の贈呈、記念写真撮影と進みましてお開きとなりました。実は開会に向けて「せんと君缶バッチ」をしこたま持って行きました(1個150円のバッチをみつけました)。奈良の観光活性に向けて一肌脱いだつもりです。しかし会場での反応は今ひとつ。残念っ。まだまだ努力が足りなかったのか、役不足か。

とりあえず赤坂見附に宿を取っていたのでチェックインすることにしました。赤坂って聞けば夜遅くまで飲んでいる人が多いような情報を持っていたのですが、案外人気が少ない街です。きっと私の歩いていた場所がそうだったのでしょう。

翌朝地下鉄に乗って麻布十番まで出ました。実は私の出身大学に麻布という名前がついているのですが、現所在地は神奈川県相模原市なんです。元を辿れば東京市麻布村にあったそうです。そこでせっかく近くに宿をとっているので、どんなところか興味湧いてきましたので足を伸ばすことにしました。地下鉄を降り概ね下調べした方向に歩いていると、ほどなく町内地図がかかってあったのでじっくり見ていると、比較的直ぐに見つかりました。早速その地図どおり歩くと今はお寺になっており、その敷地内に大学がありましたという石碑が小さく建っていました。ここでの感想はやめることにします。同窓生と語るには良いでしょうが、そうでない方々にはおそらくご迷惑だと思いますので。しかしあえて言うなら、かなり以前より是非とも行きたかった場所でもありましたので、ジクソーパズルの1ピースが見つかった気分でもありました。

dsc_1306この周辺はお寺やいろいろな国の大使館が点在しており、その周辺を閑静な住宅で埋め尽くされています。またこの麻布十番近辺。昔はどうやら機械工場の街だった様で、今でも古びた機械屋さんや世代交代の後新しくなった会社が立ち並んでいるのです。もっときらびやかな街を想像していただけにそのギャップが新鮮でした。やはり自分の足で歩かないと判らないことが多いです。

こうして考えると、インターネットで見ただけの知識やさまざまなメディアで捕らえたつもりの知識は断片であって、これをつなげるには実地検分がとても大切だと感じます。今回の探訪もこの地のほんの一面しか見ておりません。でも実際に見たルートのことは忘れないでしょう。

その2:いろいろな出会い・・・そして不思議

木曜日, 6月 17th, 2010

大都会東京。本当に人が多く、遷都1300年祭の奈良平城京ですらみることがありません。

皇居一周。美味しい立ち食いそばを頂き、ゆっくりと木陰で休んだ後、先生の喜寿祝に会場へ向かいました。東京駅から3分ほどの立派なビルの4階です。途中横断歩道で先輩や後輩たちに会いました。久しぶりに会う面々です。そして目的のビルに入りエスカレーターに乗って目的階を目指します。他の集まりもあるのでしょう、いろいろな方が居られます。

すると途中階を歩いているとき関西弁で「先生!」・・・・「山尾先生!!」

ここは東京です。多くの人が集まっている会場ですから先生と日ごろ呼ばれている面々もたくさんいるでしょう。でも山尾という姓はそういないはず(実は山尾信吾という同姓同名で同じ学年の方が少なくとも1人は居られます。近畿圏内に)。どんな人だろう、その山尾って人は。と興味本位と本能が混じり、声のする後ろを振り返りました。

その声の主は思いっきりの笑顔で、しかも私の方に向かって手を振っておられます。(よくありますよね。自分の方に向かって手を振っている。でも実は自分の後ろの人に向けてのメッセージ。そんなこと知らないから反応したはいいけれど、事実を知ってしまった時の罰の悪さ)私は老眼と乱視ではっきりとそのお方が見えません。思わず叫びました。「誰??」すると声の主は「私!」って返事が返ってきました(このような時は少なくとも姓を名乗りましょう!私・・・ではわかりません)。女性です。数歩その方に向かって近づき全てがわかりました。

病院のお近くにお住まいで、以前イヌを飼っておられた方でした。(中学時代の友人のとっても愉快なお姉さまでもありました。)

しばらくお話をしましたところ、その方も大学の同窓会だとか。奈良でお会いすることはあまりないのに、こんな離れたところで。本当に偶然とは恐ろしいものです。

そう言えば以前早朝の信州のスキー場。動かなくなった車のラジエターにお湯をかけている御仁を見かけました。よ~く見ると高校の同窓生でした。

こんな話をその後の喜寿祝会場で後輩に話してみましたところ、あるのですねえ。このような話が。聞けばクラブの後輩2人がニューヨークのデパートの片や下りのエスカレーター、片や昇りのエスカレーターですれ違いざまにお互いが「あああああ~」って指を挿し合ったそうです。参りました。

実際、東京はおもしろい街です。大都会マジック!!

2連休頂きました その1

火曜日, 6月 15th, 2010

久しぶりにお休みを頂きました。改めて感じたのですがいいものです、休みって。もう朝から心の中はソワソワ。

土曜日、東京大手町において、大学時代のクラブ顧問の喜寿祝が行われることになったため、毎年OB会は仕事で失礼していたので「先生にも会いたいし、先輩たちもくるだそうだから・・・」っていう理由で今回は出席することにしました。

となるとただその会に出て終わり!って言うのもつまらないから、だったらついでに行っておきたいところなんぞをリストアップして、これならまとめて行けそうだ、というところで手を打ちました。なんせ東京などは学会や研究会で行くだけですから、正直往復するだけ。楽しみは新幹線からの富士山とお弁当くらいでした。

話はそれますが富士山はやっぱり冬がきれいです。空気も澄んでいるし、頂に雪などをかぶって。やはり富士は日本の代表するお山です。

で今回は京都を朝6:50頃出発し東京9:30ごろ到着。いつもなら新幹線の中ではひたすら寝ているのですが、今回ばかりはお目目が冴えています。しかし富士山は曇っており、お目にかかれませんでした。残念です。

東京についてからまずはコインロッカー探し。大体ロッカーは駅の端っこにあるものです。ありました。でもただ荷物を入れてお金を入れてガチャンっていうのではありません。さすが東京です。メインメニューがあり、コンピュータがきっちりと確認してくれるのです。そして鍵はありません。鍵となるのはメインボードが発行してくれる6桁ほどの数字です。これを控えた紙をくれるのですが、これをなくしたら大変です。鍵代わりですから。そして無事荷物を預けました。

さてお祝いのパーティーまでの3時間をどこに行こうかです。まずは東京駅から迷わず皇居に向かいました。そこから一路江戸城跡。途中番屋があったりとても広い芝生の公園。傍らには「大奥跡」なんて書いてありました。なんだか凄まじい争いが目に浮かびます。くわばらくわばら。

東京は大きな街ですがやはり緑が豊富です。なんだかホッとします。空が抜けて気持ちよく、平城旧跡に居る時とおんなじ気分。あちらこちらでツピツピっとシジュウカラが鳴いています。小鳥も過ごしやすいのでしょう。

よしっとばかりにこのまま門からでて皇居を一周することにしました。最初に国会議事堂をめざします。ありました威風堂々たる建物が。TVで見たのと同じでした。格好いいですねえ。建物に飾り付けてあるレリーフがあるのをご存知でしたか。鳳凰です。2羽います。とっても美しいものです。警備が厳重な中、せっせと写真を撮りました。

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さて次はと足を向けたのは国土交通省、そして外務省、警視庁でした。別に意図はなく、ただ歩いていたら普通にありました。もちろん日曜日ですから人はほとんど歩いておりません。

再び皇居に戻ります。結構歩きました。周囲ではマラソンランナーが多く、講習会やミニ大会のようなものが行われているようです。

皇居と青い大空のコントラストはとっても似合います。気持ちが晴れ晴れとして一周歩いた疲れも吹っ飛びました。

変なものを食べちゃった

木曜日, 6月 3rd, 2010

嘔吐や下痢と言うのは日常的に遭遇する症状です。

その中に時々異物を食べてしまった動物に出会います。多くの獣医師がいろいろな異物に出会っておられると思います。その中には、よくこんなものを食べることが出来たなあ~と感心させられるものがあります。ざっと挙げると下記のようなものです。

ゴムボール(3年間胃袋に存在していました。飼い主さんが手術したくない!!って)、

鉄アレー型したゴムのおもちゃの一部

焼き栗2個分の大きさの石を2個(1個はウンチと共に出ましたが、1個は10ヵ月後に摘出となりました)

糸付の針や釣り針(これがとっても厄介なものです)

両手いっぱいになるほどの紐(摘出しましたが、腸の色が悪かったのでかなり心配しました。今は元気です。)

女性の長い髪の毛をいっぱい、ティッシュペーパーや料理用透明ラップ(ゴミ箱をあさったのです。)

梅干の種、桃の種(これも3年前に食べたもの・・・と飼い主さんが言っておられました)、

生ごみいっぱい(吐かせたのですが、真夏だったもので強烈な匂いでした。よくこんなもの食べたなあ~)

長い竹串(肛門からウンチと一緒に出てた時は驚きました)

串かつを串ごと(胃の中に串かつ丸ごとを見つけたので、串だけを内視鏡で取り出しました。合計3本!)

フライドチキンの骨(12月26日に来ました。クリスマスの後始末です。食道に詰まっていました。)

両端を結んだチューンガム(犬が食べやすいように切ってあげ、その上、水に浸して食べやすくした結果、食道と胃のつなぎ目に詰まりました。結構大変な手術でした。)

その他いろいろなプラスチック片。

薬(高血圧の薬、精神安定剤、睡眠薬、園芸用殺虫剤):このあたりは命に関わります。

今朝もロウソクを食べちゃったっていうお電話もありました。それにしてもいろいろやってくれます。まだまだ他にもたくさんあります。

体外に出すためには①吐かせる ②内視鏡で見ながら摘出する ③手術して摘出する ④ウンチと共に出るのを待つという手段がありますが、尖っている物や薬の類は吐かせるには危険が伴います。ともかく動物の目線で危険なものは置かないことが大切です。

電車の中で

木曜日, 5月 27th, 2010

電車の中で・・・・とは言いましても盗撮や痴漢の類ではありません。

日曜の午後、ようやく診察が終わったのでぶらりと大阪に出て行きました。某大手のカメラ専門店が目当てです。TVのCMでは見るのですが、行くのは初めてでした。いざ出てみるとやはり梅田は都会です。人、人、人。少し人の集団に酔いました。いざカメラの店員さんに「いつもこんなに人が多いのですか?」と恐る恐る聞きましたら、「いやいや・・・。もっと多いのですね。」やはり人口が違いすぎます。しかしよくよく観察してみると、白人がところどころに見当たるのと、言語があきらかに日本語でないアジア系の方が目立ちます。新聞にも書いてありましたが「家電やその他の商品が本物でしかも安く買える」と言って大陸からやって来られているそうです。ともあれ大阪は人が多い街でした。

さていろいろ見たので帰ることになり、けいはんな線に乗りました。これに乗れば終点まで概ね座って寝て帰れることができるのです。ふと見ると、隣りに2歳半ほどの男の子を向かい合わせに抱っこしたご主人、そしてその隣りに奥様が座っておられました。奥様はしきりに平日子供が言うことを聞かないことなどご主人に話しています。ご主人は生返事で聞いておられ、子供さんに話しかけて居られました。おそらくどこでも見られる光景です。

そしてその会話も途切れ、子供さんはぐっすりと、そして抱っこしているご主人も船をこぎ始めました。とうとう子供さんの頭の位置はのけぞってしまいました。それでもかろうじてご主人の両手は子供さんを抱きかかえています。

ところがご主人の船はどんどん揺れを増して行き、傍から見ていて「大丈夫かいな~」という振幅です。そのうち子供さんの方が頭の位置を元に戻し、ご主人の肩にしっかりとくっつけました。一時ご主人の船漕ぎは和らいだのですが、余ほどお疲れなのでしょう。1分も経たないうちに大きな波に飲まれてゆきました。抱きかかえているご主人の両腕もやや緩くなって行くのが判ります。「え~!落ちるんと違うの~?」

もうこうなったら見ているこちらの方が心配で心配で。私の右手は完全にスタンバイ状態。多少テニスで覚えのある反射神経。とうとう人様の役に立つときが来たようです。この位置なら手のひらを回内させて、落下予測地点へ滑り込ませれば間に合うだろう。いや回外かな??とかいろいろ考えつつ、いつ何時子供が落ちても助けるぞ!変な責任感が湧いて来ました。(すっかりと妄想の世界)

そうこうしているうちにとある駅に電車が止まりました。おもむろに本を読んでいた奥様が無言ですくっと立ち上がりました。そして船を漕ぎながらどこかで意識があったのでしょう、起こされたわけでもないのにご主人は子供さんをしっかり抱っこして立ち上がりました。そして何事もかなったように3人とも下車されました。

思わずホッとして力が抜けたようになり、気がつけば私が船を漕ぎ出していたようです。

(疲れた~)×3=お節介焼き!!


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