1月22日 山焼きを某所より見ました。
見ごたえのある景色ですが、残念ながら条件がいろいろ合わず、ガラス窓に張り付いてやっとこさ撮影が出来ました。
できればシャッターを開けっ放しにして撮影したかったです。
すると花火と山焼きがまるで同時に実施されたかのような写真ができあがります。
煙を上げて燃え上がる若草山。猛々しい表情です。昼間見るお山とは全く表情が違います。
この山焼き。そもそも発端というのは明確にはわかっていないのだそうです。
昔は東大寺さんと興福寺さんは仲が悪かったそうです。(今は知りません)
そんな中、近くの農民が家畜の飼料確保のために山を焼いていたのですが、その火が東大寺まで及ぶので、度々奉行所に申し出て中止を願っていたそうです。奉行所は若草山の領地が興福寺のものだった事から話はきな臭くなってきたのです。
そんなとき寛永3年江戸から老中が来る事になり、若草山麓の掃除を誰がするのか!ということになり、奉行所は掃除の場所を東大寺側と興福寺側に振り分けました。しかし納得しないのは東大寺側でいろいろ奉行所に願い出ている間に、とうとう唐招提寺と法隆寺に仲裁を頼んだり、最後は奈良奉行が5万日(136年)も若草山を預かったという俗説もでる始末です。このような背景でいろいろな風説が風説を呼んで今にいたっていると書かれてありました。
(参考出典:若草山山焼きガイドhttp://www.kasugano.com/wakakusayama/trivia/index.html)
人のすることは争いが多いです。