毎年10月ってこんなに雨の日が多かったでしょうか。昨年は10月に傘マークが1回でもついた日が5日。今年の10月は既に7日です。
雨量も多いようで、気象庁のデータによりますと昨年の10月と比べると242%の降雨量だとか。とんでもない雨量です。
それだけに秋晴れの日が余計清清しく感じます。
先日ご紹介したキンモクセイも、この2日の雨で7割がた散ってしまいました。地面には黄色い小さな花びらがたくさん積もっています。
これが乾燥すると今度は暗めのオレンジ色に変わり、汚れた地面になってしまい掃除がたいへん。
徐々に秋の深まりを感じます。
そんな秋雨の狭間に晴れた22日の即位礼正殿の儀。東京では強く降っていた雨が止み、虹が出て来たと報道がありました。
おめでたい儀式に素晴らしい演出。地球のプロデューサーはやはり居られる様に思いました。
一方私は家内に誘われ午後からちょっと家を空けて京都に向いました。二条城の前を通り過ぎると人がたくさん。どうやら無料公開されているようでした。
早速入城させてもらいますと、ただですらいつも人がいっぱいの二条城。この日はまた格別です。
大政奉還が紹介される時にでてくる大広間。写真でしか見た事がありませんでしたが、ここで歴史のひとつが大きく転換されたのかと思うと感動です。しかし思っていたより狭く感じたのは私だけでしょうか。映像って本来の広さより広くも狭くも色合いや明るさで変わるもんなんですね。
またこの日は特別ご朱印が先着1000名であったそうです。遅くから行った私達にはこのサンプルを見るだけでした。
お城を出て出町に車を止め、少し腹ごしらえ。チェーン店を展開している中華のお店。確か将棋のKingを意味する名前のお店でしたが、ドアの前に張り紙がありました。意味は「お金がなくてお腹の減っている学生さんは遠慮せずに言って下さい。お腹いっぱい食べさせてあげられますよ。」という内容でした。
思わず学生時代、たまたま仕送りが遅くなって腹を減らしていた時を思い出しました。もっと深刻な学生さんの理由もあるでしょう。それを応援している食堂があることを知って心が温まりました。
病院に帰ってスタッフにその事を話すると、20年ほど前にもあったそうです。
学生の街京都。いいなあ。
この日は鞍馬の集落内で「鞍馬の火祭り」という京都三大奇祭と言われる行事があるので、腹ごしらえが終わりすぐさま叡電に乗って鞍馬へ。
火祭りは平安時代に平安京の内裏にあった由岐神社を次の目的のために朱雀天皇が遷されたのが起源だと言われています。
1)京都の守護のため北に遷された。
2)当時頻発した地震、災害、情勢不安を鎮めるため
そのさい賀茂川沿いの葦に火をくべ道明かりとしたことに由来するらしいのです。
この数年小さな鞍馬の集落にとても多くの観光客が詰掛け、狭い道を大きな松明が通れなくなるため、警察官の指示で止まらず歩いて鑑賞する様指導されていました。
観光客の顔ぶれを見ていると、白人が20~30%は混じっているように思われます。世界の京都だからこの日京都に来ている外国人の多くがお祭りに来ていてもおかしくはないのでしょう。
サイレヤ、サイリョウという掛け声と共に上半身裸でふんどし姿の雄雄しい男性が大きな松明を担いで町なかを練り歩き、鞍馬寺まで上って由岐神社まで下ってきてはお旅所に神様をお連れすのです。
松明は道に対して約30度の角度にして抱えられ、その先端は激しく燃える炎。ごうごうと燃え盛る炎の真下では松明を支える若い男性2人。火の粉が落ちてきても元気にサイレヤ、サイリョウと叫んでいました。
その後ろから子ども達や女性たちが小さな松明を持って歩いています。サイレヤ、サイリョウ。
大きな太鼓の音がする。ドンドコドンドコドンドコドコ。良く見ると女性。あっちでも太鼓がドンドコドンドコ。やはり敲き手は女性。
女性が指揮をとって男性が動く。そんな構図にも見えます。
私たちは集落を一周してまた駅に戻りました。しばらくするとお旅所から戻ってきた松明が参道入り口に集まってきました。
時間は20時20分ごろ。そろそろ盛り上がりが最高潮に近づいて来るのでしょう。
しかしその瞬間は狭い場所での行事だけに、余ほど運よくそこに居合わせるか、真正面の旅館に宿泊していなければ拝めないようでした。
最終の電車は0時20分だと聞いていたので、まだまだ帰る手段はあるようだけど、私たちはそこそこにして帰ることにしました。深い追いして帰宅が困難になると困ってしまうからです。
既にこの段階でも電車に乗るためにとても多くの人々が並んでいるのが見えました。
電車には無事乗り込む事ができ、出町まで辿り着けました。車内ではやはり外国からのお客さんがとっても多く驚きました。
機会があればまた参加してみたいお祭りです。